「カンペキ」って漢字で書ける?
ある日、友達に送っていたLINEで気づいた。
完璧の「璧」って、下は玉じゃん!!!
完全な壁を作る=完璧 ではないらしい。。
私、すっごく衝撃でして。
学校でもマルをもらっていたし、その間違いを否定してくれる人もいなかったから。
学生時代、先生から褒められたことが正しい、先生からバツを貰うと、それは間違い。
義務教育で学ぶ正しい正しくないの審判をするのは、常に先生だった。
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
それから周りの大人に「完璧って書いてみて!」と、書かせてみた。
なんと、正解を書ける人は10人中2人だけだった。間違えた人は全員、高校を出て一通り義務教育を受けている人だった。
私は、障害者の子供たちと絵を描くボランティアをしているのだが、その子達にも同じ質問をしてみた。
そうすると、10人中7人が、正しい完璧を書けていた。
大人だから知っていて当たり前、子供だから知らないだろう。そういう「常識」というやつに、私も囚われていた。
常識って、厄介だ。
人を成長から、遠ざける。
では、常識とはなんだろう?
ある日居酒屋に行くと、子供が泣いていた。
近くに座っていたおじさんがその親に、「さっさと子供を静かにさせろよ。ここは子供が来るようなところじゃねぇ」と怒鳴った。
私は店員を呼んで「子供が居酒屋に来てはいけないなんてルール、このお店で決められているんですか?」そう尋ねると、店員は、そんなルールは全くないと言った。
その事を、文句垂れ流しているおじさんに伝えると、
「ここは大人が仕事終わって酒飲むところだ。子供が来る場所じゃない。常識だろ。そんなこともわからないのか?」そう言われた。
反抗しようとしたら、その子連れのお母さんは「大丈夫です。ありがとうございます」と申し訳なさそうに出ていった。
こういう経験は、まだまだある。
田舎に帰ると、未だに
「女は結婚して、愛する人の子供を産むこと。それが女の幸せ」
「男に可愛がられて、お金を貢いでもらって、女の価値を図る。それが女に生まれた運命でしょ?」
そんな風に言われる。
私から言わせれば、古い。古いよ。
自分の生きてきた「当たり前」を正当化する為に、「常識」を都合よく使っている人が多すぎる。
私はついさっきまで、牛丼を食べていた。
深夜3時に、友達と食べたおろしポン酢牛丼と豚汁がこんなにも美味しいなんて知らなかった。
知らないことを知るって、本当に楽しい。ワクワクする。生きている実感が得られる。
完璧という字の話に戻るけど、伝えたかったのはね、
間違っていることを知って嬉しかった。
嬉しかったんだ、知らないことを知れたことが。
常識という思い込みを打ち砕いた瞬間、自由になれるよ。
あ、そうそう。「よしのや」って漢字で書いてみて!